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なごろむvol.34 ヒーロー~せいぎのみかた~

お久しぶりの更新です。
さあ無事なごろむライブパーティーも終了しました。
今回は頑張ってチラシも配布したんだけど集客には繋がらなかったみたい。
残念っすわー。

さてお屋敷でお芝居をやり始めて何回目になるのだろう?
そして今回は3人でのお芝居。
いやー久しぶりなので緊張ですね。

そんな中で上演させていただいた「ヒーロー~せいぎのみかた~」
いかがでしたでしょうか?
ご来場いただいた皆さまよりお褒めもいただき感謝です。

今回の感想でもあったようにどこまでが台本でどこまでがアドリブかがわからなくなるように、
そうすることで舞台で起こったことをすべてライブ作品として見てもらいたいと思っています。

さて作品についてですが見てもらったのが全てというのが答えですがそれはそれで乱暴だなとも思うのは確かなことです。
今回作品を作りながら考えてたことを少しお話したいと思います。

私の子どもの頃はウルトラマンが大好きでした。
光の巨人ウルトラマンはまさに正義で街を破壊する怪獣を撃退したり、逃がしたりしていく姿を見ていました。
強さと優しさを教えてくれたというと大袈裟かも知れませんがあの時代の作品には正義も悪も結構緩かったと思います。

しかし段々とカッコ良さなどを追求する作品が増えてくると「正義なら何をやってもいい」というような作品が増えていったように思います。
だから私の幼少期にスッポリと抜けている作品群があるように思うのです。
これもちゃんとした悪じゃないと叩き潰せない時代に段々なっていったのじゃないかなと。
そうした勧善懲悪な作品が増えてくると、やはりアンチも出てくるもので、正義と悪の裏表を描くような作品も増えてくる。
今度は勧善懲悪が描きにくい時代に入って来てるんでしょうね。
そして正義と悪はもっともっと細分化し、正義の中の悪や、悪の中の正義など、
単純に正義を語ることすら危うい時代になってきてると思うのです。

お年寄りに席を譲って怒られたり、良かれと思ってやったのに相手に感謝はされない上に、怒られたりしたらどうなるか。
人と関わること自体をしなくなるのではないかと思うわけです。

それでもやっぱり正しいということはまだまだあると思うんです。
そしてみんなも正義に期待しているのではないかと思うんです。
そう思うひとつがヒーローです。

こんな時代になってもあちらこちらでヒーローは生み出されます。
ニューヒーローは毎年どこかで生まれているんです。
これは昔からそうなんだけど、昔とは少し変わってるところがあります。
昔は自分たちの日常とどこか繋がっている憧れの存在だったヒーローだけど、現代では別世界のお話、諦めの存在になっているんじゃないかって。

あとね悪ってのはだいたい貧困から起こると思うんだ。
生きるための手段ってのかな。選択肢が少なくなるんだろうね。
まあそういうのももっと色濃く描きたかったんだけどね。

子どもの頃にヒーローに憧れていた自分が少なからずいたことを思い出した時に、今の自分はヒーローになれているのか?
そんな問いに答えようとした時に悲しい答えしか出てこない。
そもそもヒーローになんてなれるか?
いや、違うな。子どもの頃のヒーローってそんな超人ではなく警察官や先生といった社会に役立つ人たちじゃなかったのか?

自分もそろそろ人生の折り返しに入ったと思うし、同じ年頃の人たちにもまだまだヒーローを諦めたくない、諦めて欲しくないと思ってこの作品を書きました。
だからみんなチャンスはまだまだあるよって思って欲しかったのね。

エンディングまで書いて副題をつけた。
もう見てくれた人なら、副題の意味もわかってもらえたんじゃないかなと。

ということで最後まで読んでいただきありがとうございます。
作品を観てくれたみなさまも本当にありがとうございます。
次回は9月末か10月頭です。
また日程が決まりましたらお知らせします。
多くの来場者がありますように。
みんなに幸アレ!