『願い』というもの

今回のなごろむのテーマは『願い』でした。
前回のなごろむが終わり、コロナが猛威を振るい、出てきた言葉は『願い』

しかし、『願い』って…難しい。

今回のお芝居は『星に願いを』というお話。
あらすじとしては主人公ヤンスミが星に願いをかけるところから物語がはじまります。
願い事をした帰り道に世界を旅するトモコと出会います。
ヤンスミはこれは星の導きということでトモコを家に招き入れます。

しかしトモコはヤンスミとの共同生活から逃げ出してしまう。
そんな時に願い星からヒカリがやってきて願い事を叶えるというがそれは相当な努力が必要なものだった。

果たしてヤンスミは願い事を叶えることが出来るのか?

* * * * * * *

ということでこうやってあらすじを起こすというのは難しいねえ。
どこまで書いていいものか?ここに尽きるわけですけどね。
だからこの辺くらいかな?どう?見た人

さて今回のお芝居は結構欲張ってしまったなあと。
本当に核になる部分よりも他のところに比重がかかってしまったように思う。

イベント中にも話したんだけど世の中のことについて白黒つけたい年頃もあったけど年を重ねるにつれ世の中はそういうもんじゃないなって思えるようになってきたのさ。
むしろグレー

まずは友だちというものについて。
友だちって難しいよねって話なんだけど、どうなったら友だちなんだろう?ってね。
この友だちの境界線ってのを昔から考えてきたわけですよ。
みんな考えないのかな?
自分は友だちだと思ってても相手はそうは思っていない。
そんな体験したことない?
でも友だちだよね?って聞く間抜けさというか、わざわざ聞くもんじゃなあないなって思うの。
例え聞いたとして、友だちだと言われても納得できるものかしら?
そうなると友だちであることっていうのはお互いの同意で生まれるものじゃないんじゃないかって思うのね。

願い事。
願い事って空を飛びたいとか超能力や魔法ってことを除くと努力でなんとか出来ることなんだと思ってる。
叶わないのは努力が足りないと。
そういう世代でもあるのでね。
その考え方として原因と結果。
望む結果に至るまでの原因を作らないと。
例えば好きな芸能人に出会いたいなら番組を作ってオファーすれば来るんじゃないかな?
その資金が作れるかどうかでしょう。

思ってる女の子に近付きたい。
好きだということも大事かも知れないけども相手が好きなことや喜ぶこと、一緒に居たいと思ってもらえる努力をしているかどうかになってくるんじゃないのかしらと。
ま、やり方は相手によっても変わるだろうし難しいね。

そして信じること
言われたことをただただ信じる、それは盲信
言われたことを狂ったように信じること、それは狂信
ちゃんと考えないといけない。
人に丸投げになってしまうのは信じるではなく責任を押し付けただけ。
あくまでも責任は自分にある。それが信じるというラインではないかと考える。

ちゃんと生きるというのは大変難しい。
そういったことを丸めてクシャクシャにして雑に放り投げた感じなのが今回のお芝居かなと思います。

もっと丁寧に作ったら倍の時間は必要になってくるとは思うし、練習やらでの時間もかかるので、現状ツライところね。
作ってみたい気持ちはあるんだけどね。

でも『何か』、本当に『何か』でいいんだけど、口で表現するのが難しい『何か』が少しでも届けられたら良かった。
アンケートやお話を聞いた限りでは喜んでもらえたようで何よりです。次回も頑張ろう。

今週はなごろむ関連のことを書ければいいな。

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