嫌いな言葉

本来はね、言葉自体に善悪はないし罪もない。問題は誰がどうやって使うか、それだけである。

武器なんかも同じで存在よりも使い方の問題だと思ってる。

で、昨日も言ったことなんだけどこの言葉を言い始めたら距離をおくようにしている言葉がある。

ひとつは『同調圧力』

なんかあると同調圧力だ!と言ってくる人がいる。まあそうなんだろうけど何をわざわざという感じです。

こんなのはどこにでも存在するし、今までもこれからとあると思うんですよね。

それを同調圧力だ!というんじゃなくて少数派であろうとも多数派が納得する意見を出して納得させないといけないんじゃないだろうか?と考えるところです。

同調圧力だ!という前に行動して周囲に納得してもらって認めてもらうというアクションが大事ではないかと思うんですよ、

同調圧力だ!という人を見ていると自分の意見が通らない、少数派である、多数派に合わせたくないという時に叫ばれているように感じるのです。

だから嫌いなのです。

同調圧力という言葉には罪はない。そういうものが存在していることもわかる。でも同調圧力の打開方法が同調圧力だ!と叫ぶことではないと思うのです。

今の世の中の簡単なルールとして多数派の意見を尊重していくってことなんでしょ?それが最近は少数派であっても意見は意見と頑張ってるところがある。

良いことだとは思うがまとまらないよね。昔は少数派って謙虚なイメージもあったけど最近は凶暴なイメージもあるな。まあそれが同調圧力だ!といわれるんだろうけど。

嫌いな言葉ふたつめが『アドラー心理学』

これも別にちゃんと読んだわけではないし、否定もしない。

でもアドラー心理学っていう人はヤバい!って感じてます。

何かしら人に認めてもらえない行動や考えであっても『嫌われる勇気』を掲げて自らの正義として突っ込んでくるからです。

もうね、どんな思想を持っていようが構わないけど人を脅かしたり、傷付けたり、迷惑をかけたらアウトだと思います。マジでやめてと思う。

同調圧力とアドラー心理学って口にし出すということは社会や周囲に受け入れてもらえない時に自己正当化し何かをやらかそうとしていると私は感じるのね。

だから同調圧力、アドラー心理学と口にし出したらソッと距離をおくようにしている。

同調圧力に対抗するのは多数派をも納得させるように意見を訴えることだろう。誰かを非難して意見を封じるのではなく話し合いで解決させる方法を見つけないと人類は結局進化しないというか、前進出来ないだろうな。最後は力ずくになるだろう。

アドラー心理学は知らないけども嫌われる勇気が必要な時もあるだろうが通常は好かれる努力だと思う。これしかない。好かれる努力の第一歩は人に関心を持つことです。本当に初歩の初歩だけど出来てない、やってない人のいかに多いことか!(あくまでも私個人の体感ですけどね)

一から十まで話さないと伝わらない、いや十まで言ってもどうせ伝わらない気はするけども嫌いな言葉でした。

言葉には罪はない。いう人に問題がある。ホントこれ。